みなさん こんにちは。
パートナーシップ 専門心理師 の佐々木 陽子です。
このブログは、私がある人との関係を通して感じたこと、
そして「人を信じること」「向き合うこと」について、自分なりに大切にしてきた思いを書いたものです。
人との関係で苦しんだり、信じたいのに信じられないと感じている方に、
そっと寄り添うことができたら――そんな願いを込めて綴りました。
傷ついてもなお信じる力 〜人を諦めない私が、学んでいること〜
「どうして逃げないの?」
「なんでそこまでして、人に向き合えるの?」
ある日、親しい友人にそう聞かれました。
私が長い時間をかけて、ある人との関係に向き合っていたことを知っている人だからこそ、
その言葉に は驚きよりも、静かな敬意が込められていたように思います。
向き合いすぎる私
自分では特別なことをしているつもりは 何もありませんでした。
でもたしかに、周囲から見ると私は、人と向き合いすぎているように見えるのかもしれません。
たとえばそれは、相手から心ない言葉を向けられても。
誤解や怒りの渦中で、こちらの想いがまったく届かなくても──
それでも私は、その人の奥にある何かを感じ取ろうとしてしまうのです。
優しさやあたたかさ、そして、
本人ですら気づけていないかもしれない、まだ言葉にならないような痛み。
表面的なやりとりに傷つきながらも、
「でも本当は…」と、その奥にある人間らしさや、
見えない心の声に耳を澄ませようとしてしまうのです。
苦しかった関係の中で
実は、以前、とても苦しい人間関係の中にいたことがあります。
相手の態度に、とても心が締めつけられ、身体に不調が出るほどの日々でした。
普通なら「もう無理」「関係を切るしかない」となるのかもしれません。
でも、私はその人の中にある “ 微かな優しさ ” を、たしかに感じていました。
防衛反応の奥にあるもの
私は、一つ嫌なところが見えたらすべてを否定する、ということはしません。
相手がつい傷つけるような言動を取ってしまうとき、
私は、それが苦しさから自分を守るために人を傷つけてしまう、
相手なりの防衛反応であることに気づいてしまいます。
そして、その言動の奥にある、触れられたくない痛みや孤独を、つい考えてしまうのです。
だから、相手を責めることよりも、
「どうしてこの人は、そうせざるを得なかったのだろう」
と、その人の背景を探る問いが、いつも先にきてしまいます。
それは、相手を甘やかしているということではありません。
きっと私は、その人の中にある「まだ言葉になっていない何か」と つながりたくて、
時折ふと見せる素直な優しさや、にじむような愛情を、ちゃんと受け止めていたいと思っているのです。
信じるという選択
もちろん、すべてが報われたわけではありません。
何度も心が折れそうになり、距離を取るという選択をしたこともあります。
けれど、それは関係を断つためではなく、
「自分を守りながらも、相手を嫌いにならないため」の選択でもありました。
信じることは祈りに似ている
私にとって、“ 信じること ” は、どこか 祈りに 似ています。
相手に変わってほしいという願いではなく、
「あなたの中にある光を、私は見ていますよ」という静かな信頼。
それはとても孤独で、伝わらないことの方が多い。
でも私は、この眼差しを持ち続けていたいと思っています。
信じたいのに、信じられないあなたへ
もしかすると、同じように
「信じたいのに、もう信じられない」
「信じても裏切られた」
そんな思いを抱えている人がいるかもしれません。
もし今、あなたが誰かとの関係の中で苦しんでいたとしても、
あなたの “ 信じたい ” という気持ちは、きっと弱さではなく、
あなたが持って生まれた、やさしさの証です。
それでも私は、人と向き合いたい
傷ついてもなお信じることは、
とても時間がかかるし、報われるとも限りません。
でもそれができるあなたは、きっと誰かにとって、
深い癒しの光になっているはずです。
私自身、いまも道の途中です。
完璧な関係なんてなくても、
“ 信じ続けたい ”という気持ちを大切に抱きながら、今日も人と向き合っています。
人間に、私はまだ期待している
だから私は、
たとえすぐに分かり合えなくても、
たとえ言葉が届かなくても、
その人の中にある「まだ光になっていない想い」、
そしてその人の真の人間性を、信じていたいのです。
うまく伝わらなくても、拒まれても、
それでも私の中には、人間に諦めていない自分が、確かにいます。
信じるということは、時にとても孤独で、見返りのない選択かもしれません。
でも、私はそうやって人と向き合うことを、
自分の生き方として、大切にしていきたいと思っています。
今日もまた、誰かの中にある静かな光に、そっと心を向けながら。
