「らんちゃん」と「らんらんちゃん」──“命のかたち”を自分の中に残すということ

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みなさんこんにちは。
パートナーシップ専門心理師の佐々木 陽子です。
ブログを読んでくださって、ありがとうございます。

今日は、ひとつのニュースを通して「命の物語」について考えていました。
それは、命を持つことでも、見送ることでもなく、
“ 命と共に生きる ” という、もう一つの在り方のこと。

(出典:YouTubeチャンネル「ReHacQ―リハック―」出演回より/報道:スポーツ報知 2025年10月12日)


お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんの妻であり、芸能事務所「タイタン」の社長でもある太田光代さんが、
自身の不妊治療の経験について 語っていました。

長年の不妊治療を経て、現在も自身の受精卵を保存しているという太田さん。
番組の中で彼女はこう話しています。

「私が死んだら一緒に棺に入れてもらいたい。それがあるだけで、子どもがいるような気持ちになる。」

この言葉には、
“ 命を授かること ” だけではなく、“ 命を想い続けること ” の尊さが込められているように感じました。


「命を持つ」ということの、もう一つのかたち

太田さんは、40代で「あと3回だけ」と決めて不妊治療を再開したそうです。
2回は結果が出ず、3回目の移植予定日に東日本大震災が発生。
治療は中止となりましたが、太田さんはその受精卵を「生きる糧」として保存することを選び、
2つの受精卵に「らんちゃん」「らんらんちゃん」と名前をつけているそうです。

「それがあるだけで、気持ちが少し楽になる」

その一言には、“ 命の存在を感じ続けたい ” という優しい願いがにじんでいます。


流産を経験した人たちが感じる「命とのつながり」

私はこれまで、助産師として 流産を経験された多くの女性たちと出会ってきました。
彼女たちもまた、「確かにそこに命があった」という事実を、
自分なりの形で心に刻もうとしていました。

自然流産のときに、小さな胎嚢を拾い上げて静かに過ごす時間。
流産手術のあとに、ホルマリンに保存された小さな命を見つめる時間。

それは、悲しみを長引かせるためではなく、
“ この命を忘れず、心の中で大切に抱きしめ続ける ” という、静かな祈りなのだと思います。


「別れ」は「終わり」ではなく、「関係の形を変えること」

太田さんが受精卵を残したのは、
まだ命になる前の “ 可能性の存在 ” を大切にした選択。

一方で、流産を経験した方が、命を見送りながらも心の中で語り続けるのは、
すでに宿った命を “ 忘れない ” という選択。

どちらも方向は違っても、
根底にあるのは同じ――
「命とつながり続けたい」という、深い愛情です。

命を持つこと、見送ること、保存すること。
どんな形であっても、それぞれの中に確かな “ 命の物語 ” があります。


知ることで、心は少し自由になる

こうした生き方を知ることは、
悲しみを軽くするだけでなく、
「命をどう受け止め、どう生きるか」を見つめ直すきっかけ になります。

命を授かることも、見送ることも、
そして忘れずに 覚えておくことも、すべてが「命と共に生きること」。
そのどれを選んでも、間違いではありません。


おわりに

太田光代さんの「らんちゃん」と「らんらんちゃん」。
そして 流産で見送った小さな命。
そのどちらも、人が “ 命と共に生きようとする ” 姿の一つ です。

命とのつながり方は人それぞれ。
けれど、そこにある想いはみな同じ――
「愛し続けたい」という願いなのだと思います。

今日このブログを書いたのは、
こうした生き方や選択があることを、少しでも多くの方に知ってほしかったからです。

命との向き合い方に「正解」はありません。
誰かにジャッジされるものでもなく、他の誰かと比べる必要もありません。

大切なのは、自分の心が納得できる形で、その命とどう関わっていくかを見つけること。
そして、どんな形であっても、
そこに自分なりの想いがあるなら、それだけで十分に意味のある生き方だと私は思います。

誰もが自分の選んだかたちで、
命と、自分自身と、自由に向き合っていけることを心から願っています。


(出典)

  • スポーツ報知(2025年10月12日配信記事)